自己分析

占いと学問と宗教(2)

前回は、「占いは学問なのか」、またその先生が採用している「宗教」や「哲学」の考え方で鑑定内容や語られることは違いますよ、ということについて書きました。

前回の記事はこちら

占いと学問と宗教(1)今回は、「占いは学問なのか」、そして鑑定内容が異なる要因のひとつとなっている「宗教」や「哲学」について書いていきたいと思います。 占い...

今回は、「宗教」や「哲学」について深掘りしてみます。

「私の運命(宿命・天命)を教えてください」
「生年月日(星)を選んで生まれてくるのに子どもの生年月日を帝王切開で決めてしまいました」
「子どもは親を選んで生まれてくると言いますが私は子どものために何をするべきなのでしょうか」
「私の魂は何を望んでいるのでしょうか?」

このようなご質問をいただくことも多いのですが、こういった悩みは「宗教」や「哲学」について知るとスッキリするのではないかと思います。

ですが、念のため書いておきますが

「運命が決まっている」
「星を選んで生まれてくる」
「子どもは親を選んで生まれてくる」
「魂はこの世で何をするか決めてきている」

といった神話(ファンタジー)を採用することで人生が好転する人は沢山います。

「病は気から」と言いますが、薬で治らなかったものが「気分が変わること」で治る事例もあったりします。

自信もつくし、性格さえも変化することだってあります。
ですから神話とわかった上で採用している先生もたくさんいらっしゃると思います。
(それで良い結果が得られるなら良いじゃないか、と)

「信じる者は救われる」とは、そういうことでもあると思います。

信じることで悩みが軽減するなら、それは素晴らしいことではないか、と思います。

しかし、逆にその教えによって悩まされる人がいるのも事実です。私の友人はそうでした。

占いをしてもらうことで選択肢が増えるのと同じで、様々な知識を得ることを私は大切にしています。

鑑定される側も、鑑定する側も、様々なことを知った上で「自分はどんな考えを採用するか」考えていただければ幸いです。

運命は決まっているのか?

さて、まずは「運命」について考えてみます。

前回、「占いは占いであって、学問や統計学としては認識されていないですよ」ということを書きましたが、どうしても「占いは学問です」とか「占いは統計学です」と言われると、占い通りに人生が進んでいくんじゃないかと思いやすいですよね。
(その人がどういう意味でその言葉を使っているのかは別として)

さらに、「人は生年月日(星)を決めて生まれてくる」とか「子どもは親を選んで生まれてくる」と言われれば、「生まれる前から人生が決まっているんだ」と思えてきます。

まず、前回も書きましたが占いには様々な流派があり、鑑定に使われる技法や見方が異なります。(これは四柱推命に限ったことではありません)

そうなると、鑑定結果がガラっと変わるので「占い通りに人生が進んでいく」「星を選んで生まれてくる」ってことはなさそうですよね。

では、「運命が決まっている」といった考え方はどこから来たのでしょうか。

運命論について

運命が決まっている、と考えることを「運命論」とか「宿命論」、そしてそのような考え方をする人を「宿命論者」と言ったりします。

世の中の全てはいつ、どこで、どうなるかが決まっていて、人間の努力では変えることができない、と考えるのが「運命論」です。

「運命論」と「占い」は相性が良いと言えます。
「決まっている運命」を「占い」によって紐解こうとするわけですね。

ヒンドゥー教では、生後10日~12日に命名式が行われ、赤ちゃんのホロスコープを出し、運勢が占われるそうです。(ヒンドゥー教は多神教です)

イスラム教には天国に行くために「六信五行」という6つの信条と5つの義務があるのですが、その六信の中に「あらゆる人の人生、世界で起こることはアッラーによって定められていると信じる」という「定命(カダル)」があります。
(アッラーは「神」という意味で、神様の名前ではありません)

16世紀にはキリスト教徒のジャン・カルヴァンが「予定説」(神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め定められているという説)を説いています。

また、紀元前の中国では「受命思想」(天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令)が生まれたとされています。

ちなみに、仏教が伝来する以前からある日本の「神道(しんとう)」には、イスラム教の「コーラン」やキリスト教の「新約聖書」といった聖典はありません。

「神典」とされる信仰の根拠とされる文献があります。

古事記や日本書紀、そして「万葉集」などが神典とされているのですが、日本の神様はご存知の通り「八百万(やおよろず)の神」で、神様も亡くなったり(黄泉の国へ行く)不倫をしたり、殺しあったり、神様同士が占いによって勝負を決める場面が描かれていたりするので、神道では「神様が全てを決めている」ということはなさそうです。

宗教の流れ

私たち人類の信仰は、

アニミズム(全てのものに霊魂や魂が宿っていると考える思想)→ 多神教 → 一神教 → 悟りの宗教

と進化してきたと言われています。

ユダヤ教は4,000年も歴史があると言われ、世界3大一神教の一つとして有名です。

ユダヤ教には「ユダヤ人こそ神に選ばれた者、神に救われる唯一の民族」という選民思想があるのですが、ユダヤ教徒だったイエスは「神を信じる者は誰でも救われる」と批判をして回っていたそうです。

その後、イエスはゴルゴダの丘で処刑されます。
(紀元前30年頃)

イエスの死後、弟子たちがイエスの教えをまとめ、「新約聖書」が出来上がります。

イエスの教えを信じる人たちの宗教として「キリスト(ギリシャ語で救世主)教」が誕生しました。

ユダヤ教徒だったイエスの教えをまとめているので、ユダヤ教の「神様」とキリスト教の「神様」は同じということになります。

そして、7世紀頃ムハンマドが「神の言葉を聞いた」として人々にその教えを伝え始めます。

預言者であるムハンマドの没後、「ムハンマドが伝えた神からの教え」をまとめ、イスラム教が誕生。

その教えをまとめた「コーラン」には「イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、誰であれアッラーを信仰し(中略)主からご褒美を頂戴することだろう」と書かれていて、イスラム教もまた、ユダヤ教・キリスト教と同じ「神様」を信仰しています。

イエスもムハンマドも、亡くなった後に聖典が作られているところが興味深いですね。

ちなみに、キリスト教も「カトリック」や「プロテスタント」「モルモン教」など宗派も様々ですが、イスラムも「シーア」「スンニ」、仏教も「大乗(だいじょう)仏教」「上座部(じょうざぶ)仏教」、神道も「神社神道系」「教派神道系」と様々です。

人が増えれば、価値観も捉え方も育つ環境も異なるので、それに応じて増えていくのだと思います。

「何が正解か」ではなく、「何を信じたいのか」ですね。

何を信じるかで答えが変わる

このように、自分の信じている教えによって答えも変わってきます。

「宿命論」や「運命論」では、努力をしても人生は変えられないので、その宿命や運命を受け入れることから始まります。

神を信じて善い行いを続けていれば救われる(天国へ行ける)ので、そのような方には「占い」は「神様からのお告げ」のように思えるかもしれません。
(神様によって自分の人生が決まっている、その人生を読めるのが占い、と思っていたら)

ですが、占いは流派によって違いがあるので、何を信じて良いのか混乱しますよね。

ですから、”より当たる占い”だったり”より古くて伝統的な占い”を求めるのかもしれません。

また、当たらないことを「修行が足りない」とも思うかもしれません。

もしくは、占いではなく「視える人」や「聴こえる人」に救いを求めたり、実際に自分がそういう人(預言者や救世主)になろうと修行をするかもしれません。

でも、神様が決めてくださっているのであれば、自分にとって必要なものだけ(そう神様が決めたもの)が手に入るわけですからそれに感謝し、周りと比べず、できる限りの努力を続けていけばいいのが「運命論」なのではないかと考えます。

現在の私は「運命は変えられる」と思っていますので、生年月日も決めてきていないし、親を選んで生まれてきているとも思っていません。

全て「偶然」の賜物です。

そして、占いは可能性を広げるツールとして使っていきたいと思っています。

ですが、現在の科学では運命は変えようと思っても変えられないことになっています。

自由意志は存在しない。

つまり「変えたい!」と思っても変えることはできない、ということです。

ってことは、、、「やっぱり運命は決まっているってこと?」と思いますよね。

次回は、その辺りを書いていきたいと思います。

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